AROK-TALK

カテゴリー1

建築とまちづくりから挑戦する、
福井のウェルビーイングな暮らし

内田由紀子氏

京都大学 人と社会の未来研究院 院長・教授

幸せな暮らしやよりよい社会に、住まいが果たす役割とは何か。県民の幸福度が高いといわれる福井県。同県に根差して「高性能で環境に配慮した建築」の普及に邁進するアロック・サンワの石橋智洋社長と、京都大学の「人と社会の未来研究院」でウェルビーイング(Well-being/人にとっての心身と社会的な健康)について研究する内田由紀子教授が意見を交わした。
※所属・役職など、記事内に記載の内容は2024年1月取材時点のものです。

 

環境や個人によって異なる
「幸せ」の感じ方

 

石橋:福井県は、『都道府県幸福度ランキング』で総合1位になりました。たしかに、持ち家率や自家用車の保有率、教育水準は高いですね。
共働きの世帯では、両親が帰ってくるまで子供が家の外で過ごす時間が多くなります。
その結果、塾や地域のスポーツクラブなどに通うようになる。それが学力や体力の向上をもたらしているのではないでしょうか。
それに人間同士の繋がりも強いと感じます。子供たちは塾やスポーツで繋がり、それに伴って保護者同士のネットワークができます。
また、自治会もしっかりと機能していますから、近所の人と会う回数も多くなります。
他にも、福井県では高校生や中学生時代の同窓会が非常に大きな規模で開催されていて、幹事が継がれていきながら、数百人や多い時には千人近い会になることもあります。
ただ、「地元の方々が、それらを『幸せ』だと実感しているか」というとそうではなく、あまり気にせず当たり前の環境だと感じているように見えます。
※編集注:『全47都道府県幸福度ランキング 2022年版』(寺島実郎監修・一般財団法人日本総合研究所編)

 

内田:共働きしやすい環境があって、それにより経済的なゆとりや、フラットな性別役割分担が実現されることや、子供の教育機会が充実するというのは、良いポイントですね。
共働きの世帯では、それぞれに自家用車が必要となるので、車の保有率も上がります。
また、祖父や祖母の代から、地域にゆかりを持っている方も多いので、土地や家の所持率や世帯を超えた家族の同居率も高くなりますし、地域の人々との関わりも深いのでしょう。これらがランキングに影響されているのは頷けます。
ただし、幸福の感じ方は地域それぞれで違います。
たしかに福井県は幸福度ナンバーワンなのですが、福井の暮らしは東京では実現しにくいものですし、客観的に測れるものではないとは思います。
『幸せを感じる』ということは主観的なものですから、さきほど石橋社長がおっしゃったように、普段暮らしている中で幸せを感じている方は多くないかもしれません。
外部の方や他の地域の状況に触れて、初めて自分たちが恵まれていることを実感できることがあるかもしれませんね。

 

石橋:たしかに。持ち家があったり、自動車を一人一台持っていたり、近くに病院やスーパーが多くても、それが当たり前の生活ですから、ことさらに幸せと思うことはありませんね。
ただ、例えば福井の外から来た人に「福井のこんなに美味しいものは、私の故郷にはありませんよ」と言われた時や、ニュースなどで他の地域の生活インフラを知った時に、改めて福井の良さがわかる、愛着が持てるということがありますね。

 

 

 

 

福井県の人々は
距離感の取り方がちょうど良い

 

石橋:内田先生は、京都大学の『人と社会の未来研究院』で、ウェルビーイングの研究をされていらっしゃいますが、なぜこの研究を始められたのですか?

 

内田:京都大学には文学部に入学しました。そこで古典文学を学ぼうと思っていたのです。
源氏物語や過去の古典作品を読んでいると、今の暮らしとは価値観が大きく違います。家族の繁栄を何よりも重視されている時代の中で「果たしてこの人物は幸せだったのだろうか」と感じました。
その疑問を解消しようとする中で、心理学の分野に興味を持って大学内で転部しました。そして私の師となる教授との出会いをきっかけに文化心理学という分野に進んでいきました。
『人と社会の未来研究院』は、人文社会学全般を扱う研究組織です。
人文社会学は非常に幅の広い学問ではあるのですが、歴史学であれ哲学であれ、公共政策であれ、突き詰めると、過去の出来事や思想から学び、ウェルビーイングや幸せについて研究していくことに繋がります。
研究院の中では、そうした多様な知見を繋ぎ、取りまとめながら「人間のウェルビーイング」だけでなく、数々の社会問題や環境問題、紛争問題などを乗り越えた先にある「地球全体のウェルビーイング」を追求しようとしています。

 

石橋:その「ウェルビーイング」という言葉ですが、近年よく聞かれるようになってきました。
実際にはいつ頃から使われ始めたものなのでしょうか?

 

内田:ウェルビーイングは、近年特に注目を集めて「ポストSDGs」と呼ばれることもありますが、実は心理学の分野では1980年ごろから使われてきました。
心理学では「サブジェクティブ(主観的な)・ウェルビーイング」と言います。もともとは、主観を重視していたわけです。
この概念は当時からOECD(経済協力開発機構)などに呼びかけられていましたが、その頃は経済発展に世界の目が向いていた時代でしたから、あまり注目されていませんでした。
2000年代になって、人の健康や持続可能な発展などが意識されるようになり、広く使われるようになりました。

 

石橋:内田教授のウェルビーイングの研究にとって、福井の幸福度の理由から得られるものなどはありましたか?

 

内田:福井県の素晴らしい点は、人との関わり方にあるのかもしれません。
日本の文化は、人との繋がりをとても重視しますが、それが弱すぎると、人と人が助け合えなくなります。
また、強くなりすぎると監視型の社会に繋がってしまって、人間関係が固定化されてしまったり、外の人が入りづらくなったりしてしまいます。
福井県は古くからの人々が地域に根を張っているのにも関わらず、ちょうど良いコミュニケーションが取れているように思います。人と人の適度な距離感を体感的にわかっているのではないでしょうか。これは、心地よい社会を形成していく上で、他の地域の人々にとっても役立つ実例だと感じます。
一方で、石橋社長は福井で暮らしている中で、課題に感じていらっしゃることや足りないと思われるものはありますでしょうか?

 

 

 

 

まだまだ課題が多い
日本の住環境

 

石橋:やはり住環境の快適性ですね。高性能住宅はまだ普及過程にあり、昔ながらの木造・戸建てが多いことは課題でしょう。
以前、私は、「日本の建築技術は世界に冠たるものだ」と思っていました。しかし、ドイツのフライブルク市にあるヴォーヴァン地区を訪れた時にその考えは覆されました。
ドイツの建築には州ごとに非常に厳格な基準が設けられていて、高気密で高断熱、冷暖房に大きなエネルギーを使わずとも、住まいの中が快適な温度に保たれるのです。
しかもそれは、高級住宅だけでなく、すべての住宅で厳守されます。この基準に照らし合わせると、日本の建築物はドイツで建てる許可すら下りません。
また、ドイツだけでなくイギリスでも住環境への意識は高く「室内の温度が18度を下回る場合、健康に被害が出る」と規定されており、これが守られていない建築は取り壊しや建て替えが命じられます。
一方で、日本の建築物の中は非常に寒いです。福井はもとより日本中で冬に『ヒートショック』が発生して多くの人が亡くなってしまうのも、この室温の低さが一つの原因です。
私は今、こうした「高気密で高断熱、エネルギーを効率よく使う住まい」の普及に力を入れています。
これはドイツでの経験と「1年間でヒートショックが原因で亡くなる人の数が、交通事故よりも多い」と知ったことが、大きな動機となっています。
こうした建築分野の快適性は、ウェルビーイングにも関わると思うのですが、いかがでしょうか?

 

内田:住環境とウェルビーイングには密接な関わりがあると考えられます。
今おっしゃられた健康の面でもそうですが、心地よい時間を過ごすことができるかどうかも重要です。
日本の住まいでは、冷暖房の効いた部屋に家族が集うケースが見られますが、家中が常に快適な温度であれば、集える場所はもっと多くなりますし、独りで過ごす時間も心地よいものになるでしょう。
ウェルビーイングに必要なのは、“生き方”と“つながり”、そして“身体”です。
心地よい温度で健康を維持し、時間を有意義に過ごし、家族や知人とつながる家はまさにその中心です。
さらに、家で幸福に暮らすことは、家の外のコミュニティーとの積極的な関係づくりとも関連しています。
石橋社長が提唱する住まいが普及することで、福井県に心身ともに健やかで活発な人が増える。そんな、未来が待っているかもしれませんね。

 

石橋:たしかに、住まいの温度と人間の活発さの関係は、学術的にも認められてきていますね。
先ほど「日本の家屋は寒い」と言いましたが、これには日本人の気質も関係していると思います。日本人は、寒い時には着込んで、暑い時には服を脱いで我慢してしまいます。
日本のエアコンをはじめとした冷暖房器具の性能は非常に高く、省エネなものが多いのですが、それは「我慢して、どうしても辛ければ部屋の温度を調整すればいい」という考えからでしょう。
一方で、海外では「我慢する」ということが、一般的ではないと思います。
「冷暖房を使わずとも快適に過ごせて、足りない場合だけエネルギーを使う家を建てよう」と考えたことで、海外では住まいそのもののクオリティが上がっていったのだと感じています。
内田先生がおっしゃる通り、文化や人の気質によって、家での過ごし方も違いますし、それによって住まいの形状も変わってくるのですね。

 

 

 

 

快適な住まいは、
幸せな街と景観を生み出す

 

内田:ドイツやイギリスでの経験をもとにして、具体的にはどのような住まいづくりを進めているのでしょうか?

石橋:今は、戸建てを足がかりに、『室温が18度以下にならない高気密な家』の建設を進めています。これを皮切りに、集合住宅にも広げていきたいと考えています。
また、2024年1月に発生した能登半島地震の復興に必要となる、仮設住宅づくりも視野に入れています。
日本は、断熱性能では海外に劣りますが、地震が多い国であるため耐震技術は大変優れています。
高い耐震性能に加えて、高気密・高断熱を備えた住まいをつくり、普及させることを目指しています。
特に、住まいの温度の影響を強く受けるのは、子供や高齢者の皆さんです。
当社では、一般的な住宅のみならず、こども園や高齢者施設の環境を向上させるための建築にも着手しています。
これらが実現できれば、内田先生のおっしゃる通り、コミュニティーが活性化すると思います。
地域に安全で快適な建物があり、子供たちと高齢者が世代を超えて互いに交流し合う、そんな福井を目指しています。

 

内田:現在では、GDW(国内総充実度)という指標が注目を集めていますが、幸せやウェルビーイングは主観的なものです。
快適な住まいで暮らす人々は活発になり、家族同士や地域内で人々が繋がり合うことでお互いを尊重するでしょう。
また、地域社会でお互いを必要とし合っていることを実感できれば、そのコミュニティーに属する人々は、幸福に毎日を過ごすことができるでしょう。
そういう意味では、家というのは健康で活発な生活を送るための拠点でありながら、街の景観や良い地域社会をつくっていくための基礎となるものだと思います。
石橋社長が今そうしたことに取り組んでいる中で、乗り越えなければならないポイントは多いと思います。
例えば「私は我慢していれば大丈夫」とか「そんな贅沢をする必要はない」という声も多いかもしれません。
それでも、石橋社長のように信念があり、健康と住まいに関するエビデンスや数字に裏打ちされた根拠を持った方が訴え、住まいづくりを実践していけば、やがて常識が一気に変わる時が来ると思います。
それまで石橋社長には頑張っていただきたいですね。

※編集注
GDW(Gross Domestic Well-being/国内総充実度)は、国の繁栄と幸福を評価するための指標。
GDPが「経済活動の水準を測定するもの」に対し、GDWでは経済面に加えて、環境、健康、教育、所得格差、社会的つながり、治安などの要素を含めた幅広い指標を考慮し、国民の幸福や生活の質をより包括的に評価する。

 

石橋:ありがとうございます。家が景観をつくるというのはすごく共感できます。
もちろん、家だけが地域の風景や人のコミュニケーションをつくるわけではありません。
私はこれからも建築にできることを模索しつつ、福井の人々のウェルビーイングのために、どこまで関っていくべきなのかを見極めながら、事業に取り組んでいきたいと思います。

 

内田:単に人が過ごすだけの住まいではなく、健康を守りより良い地域を作るために尽力されている。
その取り組みがもたらす、福井県の理想のまちづくりに期待したいですね。

PROFILE

内田由紀子氏

京都大学 人と社会の未来研究院 院長・教授

経歴

2003年、京都大学 大学院 人間・環境学研究科 博士課程 修了。
ミシガン大学、スタンフォード大学の客員研究員などを経て、
2008年、京都大学 こころの未来研究センター 着任。
2020年、京都大学 こころの未来研究センター 副センター長。
2022年、京都大学 人と社会の未来研究院 院長・教授。
現在は京都大学にてウェルビーイング(人にとっての心身と社会的な健康)の研究に取り組んでいる。